アイラ前日譚

ある日の夜のことであった。
ソル・シエールに建つアルトネリコ第一塔、ほたる横丁にある昼は定食屋、夜は居酒屋の飲食店での一角にて三人組、その中でも見た目からして中年に差し掛かっているであろう男女が言い争いをしていた。
「リーシャ!!あれだけ『もう人間は拾うな!!』って言っただろう!!この調子で人助けをしていたらお前いつか破産するぞ!!」
「そう言われてもさあ……流石に人んちの目の前で倒れていたら介抱もするよ……」
そう言い争う二人は、ここほたる横丁に本拠を構える組織『天覇』に所属する科学者であった。
ちなみに叱られているのは女性のリーシャ、叱っているのは男性でリーシャの同僚だ。
(ああ……初めて口にする食べ物ですが、この素朴な味……空腹の胃に染み渡りますわ……!)
そして言い争いをする二人の向かいの席でこの居酒屋で〆の一杯として定番となっている卵雑炊を、まるで高級五つ星レストランで供されるスープを味わうが如く優雅に食べている若い女性がいた。
「それにしてもここの卵雑炊をこんなに優雅に食べる子なんて初めて見たよ……」
「それは俺も同感だ」
今日ここの居酒屋に来て初めての見解の一致が出たところでリーシャは尋ねる。
「少しは元気になったかな?で、そろそろ君の名前を聞いてもいい?」
食べることに夢中になっていた若い女性はその質問でハッと我に帰り、そしてテーブルの横に置かれている紙ナプキンでまたもや優雅に口を拭った後にこう答えた。
わたくしときたら命の恩人にとんだご無礼を……

私の名前はアイラ。アイラ・エイベルと申します」

話は少し前に遡る。
アイラはおぼつかない足取りでほたる横丁を当てもなく彷徨い歩いていた。
(ああ、早く新しいアルバイト先を見つけなければ……。でもこの私を雇ってくれるところなんて残っているのかしら……?)
アルバイト先からクビを言い渡されたのが数日前のこと。それからアイラは僅かばかりの水しか口にしていなかった。
(目の前がなんだか霞んできましたわね……)
体力の限界を迎えたアイラの体は傍にあった壁へと自然に傾いていった。
(いけませんわ、このまま意識を手放したらきっとまずいことになる……!)
アイラがこのままではいけない、と壁に手を当て自身の体を心を奮い立たせようとしたその時、
「ごっめーーん!ちょっと部屋の中で埋もれちゃってさーー!これからそっちに向かうよ!!」
とテレモを耳に当てながらリーシャが家のドアをそれはもう勢いよくバン!!!!!と開き、そしてそのドアがそれはもう見事にアイラの体にバン!!!!!とクリティカルヒットしたのである。
そう、アイラが寄りかかっていたのはリーシャの家の玄関ドア近くの壁だったのだ。
そしてその一撃がトドメとなり、アイラは意識を手放し地面に倒れ伏した。
ドアに何かがぶつかった感触と、ドサッ……という重たさを感じる音によりリーシャはアイラの存在に気付き、そして気絶したその姿を見て顔を真っ青に染めた。
『リーシャ、今何か凄い音がしなかったか……?』
テレモ先から聞こえてきた同僚の声でリーシャは我に帰り、呆然と呟く。
「どうしよう……私、人を殺しちゃったかも……」
『は???』

これがアイラとリーシャの出会いであった。

「いや、命の恩人じゃなくてその逆だと思うよ……?」
リーシャがアイラをドアでK.O.した後、テレモ先の同僚から冷静な指示を受け、近くの病院に搬送しアイラの身体しんたいの無事を確かめたが特に異常はなし。とある一点を除いては、だが。
『貧血ですね。おそらくもう何日も食べていないのでしょう』
と医者に告げられたために、K.O.した罪滅ぼしとしてこうしてリーシャが夕食を奢っているのが現在。
同僚には「病院に送って医療費を払った時点で十分に罪滅ぼしだろ」とは言われたのだが、どうしてもほうってはおけなかったのである。
「で、どうしてアイラちゃんはあんな所にいたの?」
「そうですわね……どこから話せば良いことか……。貴方がたのお時間を少々頂いてもよろしいでしょうか?愚痴まじりの話にはなってしまいますが……」
気丈に振る舞っている普段はアイラの口から愚痴など出てはこない。だが今は気が弱っているのか、もしくは一杯の素朴な卵雑炊が彼女の気を緩めたのか、遠い目をしながらアイラは事の経緯を語り始める。

「私はある日親元から離れて一人立ちしようと決意しまして。まず初めに向かったのが空港都市ネモでした。
何はともあれまずはお金を稼がなくては、と、即アルバイトとして雇ってくれると仰ってくれたカフェで働き始めたのですが、その日のうちにカップを50個ほど割ってしまいクビになりまして。その次は雑貨屋でお皿を1日で20枚ほど。そしてその次は……と何十軒と繰り返してそのうちネモ中のお店から出禁になってしまいまして。
数週間前にこちらのほたる横丁に逃げるようにやってきたわけですが、そのうちこちらでも<陶器割りのアイラ>などと悪名が轟いてしまいまして……。そして当てもなく彷徨っていたところをリーシャさんに拾っていただいたのが事の経緯ですわ」

アイラの語った内容に同僚はもちろん、さしものリーシャも絶句した。
「あ……アハハ〜〜、ひょっとしてアイラちゃんって不器用?」
「ええ、そうなんです……。幼い頃から手先が本当に不器用でして……」
「これまで色々なお店を転々としてきましたが、アルバイト先では器用さが求められがちですし、本当にこれから一体どうすれば良いのか……やはり諦めて故郷に帰るしかないのでしょうか……」
悲嘆に暮れるアイラの表情を見て、なんとか気分を前向きにさせようと思ってしまったリーシャはその場でしばらく腕を組んで考え込み、それから数日前に白衣のポケットに突っ込んで今現在までそのことを忘れていた、とある一枚の紙切れについて思い至った。
「アイラちゃん、人間ってね、追い詰められるとドンドン事が悪いように進んでしまうものだよ。ってことで……てーてっててー!!ここに一枚のチケットがあります!」
突然大声を出したリーシャにアイラは驚く。
「!?な、なんですの!?」
「これは!我が天覇が明日サービスインする『バイナリ野体感ゲーム』の無料チケットであります!!ってことでこれアイラちゃんにあげるね」
と言ってリーシャはアイラの手を取り、その手にチケットを握らせる。
「???」
当然アイラは困惑する。だが思い立ったが吉日がモットーのリーシャだ。困惑するアイラのことはお構いなしにリーシャは更に言葉を畳みかける。
「明日それで遊んで気分転換しておいで。それからお金も大事だけど、多分就職においては住所も重要だと思うんだよね。ってことでしばらくウチで泊まりなよ」
リーシャの口から矢継ぎ早に飛んできた言葉に同僚は頭を抱える。
「お前、人の話を聞いてたか……?お節介も大概にしろって何回も言っただろ……」
リーシャの勢いに圧倒されていたアイラも、同僚の言葉で我に帰り、慌て始める。
「そうですわ、食事を恵んでいただいただけでも充分ですのにこれ以上お世話になるわけには……!」
自分の提案に対して異を唱える二人に向かってリーシャはにっかりと笑ってこう言った。
「な〜に!袖振り合うも他生の縁って言うだろ?大丈夫大丈夫!なんとかなるって!」

こうして勢いよくリーシャの家に泊められ、翌日には勢いよくダイブ屋へと送り出され、アイラは困惑したままバイナリ野の中へと身を投じることになったのであった———。