三つの匣のイロカタチ

「なんやかんやとご縁があって事務仕事への就職が決まりましたの。雇い主がお給料の前借り交渉にも応じてくれましたので部屋も無事借りられそうです。
——長らくこの家に置いてくれたことを感謝します。本当にありがとうございました」
プロジェクト発足会議から居候先の家に帰ってきた日の夕方、リビングにて。アイラとリーシャは椅子に腰掛けながらテーブル越しに面を合わせていた。
そしてアイラは、行き倒れてからプロジェクト<E=B>発足会議の間に世話になっていたリーシャに頭を下げながら、プロジェクトのことを濁しつつもこれから生活を立て直せそうなことを報告する。
「おお!?就職先が決まったのかーーー!!いやあ本当に良かった良かった!!
しかしたった数日部屋を貸しただけなんだし、そんなに長くないし大したことでもないと思うんだけど」
「……赤の他人を無償で数日家に居候させるのは十分大事だと思うのですが……」
あっけらかんととんでもないことをのたまうリーシャにの言葉に、アイラは頭を上げた後、頭を片手で抑えながら答える。あの日アイラの体に扉をクリーンヒットさせてしまったことに負い目を感じているのだとしても、そのお詫びがあまりにも豪胆すぎやしないだろうか。
まあ数日リーシャと過ごして、彼女の性格がちょっと……ちょっと?……変わっていることと、お人好しかつ世話好きであることは十分理解できはしたのだが、それはそれとして。
「とにかくリーシャさんには何かお礼をしたいんですの。数日滞在した分の家賃と食費くらいは最低限出させて欲しいですわ」
アイラにだって矜持というものがある。施しを受けっぱなしではいられないという矜持が。生家を潰してプラティナを飛び出したからには一人で立ち上がりたいのだという矜持が。
そしてアイラと出会う前に、リーシャが地上に赴いた際に遭遇したある”事件”以降、何かとボランティア活動に精を出していたリーシャも、そのボランティアでの経験則からそんなアイラの矜持を察していたのであろう。
「うんうん。じゃあありがたく受け取っておくよ」
とアイラの言うことを快諾したのであった。が。
「まあそれはそれとしてこれからアイラちゃんの就職祝いをしに行こっか!!お祝いだからね!!奢りだよ!!」
椅子からガバリと立ち上がり、リーシャの馴染みの定食屋の方向にズビシ!!と指を向け、ウッキウキの声を上げながらこう言った。結局世話好きを抑えられなかったようだ。
アイラは苦笑しながら、「まあお祝いならいいか」と思い、その誘いに甘えることにした。

「んえ?それぞれの地域とその地域の人柄の特色?」
好物である生姜焼き定食を口にかき込み噛んで飲み込んだ後、リーシャはアイラに聞かれたことを復唱する。リーシャお気に入りの定食屋、まあ今は夜なので形態としては居酒屋であるが、ここは相変わらず人で賑わっていた。
アイラは卵雑炊を食べていた。リーシャに拾われた時に奢ってもらった卵雑炊の味を余程気に入っていたらしい。
なお居酒屋であるにも関わらず、二人とも酒は頼んでいなかった。リーシャは思い立った時に機械弄りや波動科学について調べられるようにいつでも正気——アイラは一度リーシャの機械弄りの様子を見たことがあるが、リーシャにとっての正気とは一体なんだろうか?——でいたいので普段から酒を呑む習慣がなく、アイラはまだ二十歳に満たないので酒を呑むことを控えていた。
「ええ。リーシャさんはメタ・ファルスに住んでいたこともあるのでしょう?でしたらそういったことを肌感覚で知っているのでは?と思いまして」
居候をしていたここ数日、アイラはリーシャが一時期メタ・ファルスにいたことがあると聞いたことがあった。そのメタ・ファルスにはソル・クラスタからの避難民もいたという。今日の会議で知りたくなったことを聞くのにリーシャはうってつけの人物だった。
「んーそうだね。メタ・ファルスの人はね、信仰深いと言ったらいいのかな?メタ・ファルスにはラプランカ伝承という物語が多く伝わっていてね」
「『「雨の降らない、枯れ果てた土地で、木の苗のインプランタと、それを守る少女ラプランカ。少女と木を助けるべく、少ない水を求めて奔走する少年マオの逸話』、だったかしら?それならゲームで組んだメタ・ファルス出身の方に聞きましたわね」
「うん、それが一番メジャーなラプランカ伝承みたいだね。あと一つ私が知ってるのは、恐らく雲海に覆われる前のメタ・ファルスの成り立ちに関わる物語かなあ」
そう言ってリーシャはラプランカ伝承の一つである『Infelious Rhaplanca永劫なる天地の手記』を語る。
「とまあこんな感じでね。ラプランカ伝承に共通しているのは『どのように人々が行動をすれば理想郷に至れるか』って点だと聞いてるよ」
「なるほど、道徳的な話がメタ・ファルスの人々に語り継がれているというわけですか」
「うん。そしてさっき話した『永劫なる天地の手記』の内容から察するに、どうやら雲海に覆われる前から数年前にメタ・ファリカが創造されるに至るまでメタ・ファルスの人たちはここと比べると過酷な環境におかれていたみたいでね。だからこそのラプランカ伝承なんだろうね。ここの人たちと比べると信仰深いなって印象を受けた理由の大半がそれ由来かな」
リーシャはそこまで一気に言葉にした後、一息つくかのようにグラスに注がれていた水を一気に空にした。
「あとはそうだね……。メタ・ファリカ創造のためにレーヴァテイルの力が必要とされていたから、ここよりもレーヴァテイルが大事にされているのも特色かな?——だから私にとってもメタ・ファルスは理想郷だったんだ」
アイラはその言葉を聞いて俯き「ああ……」と言葉を漏らした。
居候をしていたこの数日間に「ご家族の方は?」とリーシャに訊ねたことがあったのだ。リーシャは「隠すことでもないし」と彼女の家族のことを——亡くなってしまった家族のことを話してくれた。彼女の姉が亡くなった経緯についても。——レーヴァテイルへの知識に、ホルスの翼でのレーヴァテイルの扱いに疎いアイラに同じソル・シエールに暮らす者として、ここに暮らす人々の差別意識を知ってほしかったから、と。
リーシャにとって深い、とても深い心の傷だったのだろう。アイラはそう思ってその言葉と想いを受け止めた。けれど。
「けれども多くの人にとっての理想郷であっても取りこぼされた人がいます」
アイラは思わずそう溢してしまった。
そしてその言葉はリーシャにとって予想外だったのだろう。
「えっ?」
と目を丸くしてアイラの方を見る。アイラは慌てて、
「あ、あの、ゲームで同席した方からそんな話を聞きましたの」
そして『メタ・ファルス出身であるものの”民”から切り離された人』と『気風や文化に馴染めなかったためにメタファリカに入れなかった人』の話をした。——ゼロとヤグシャの名前は伏せながら。
「そっか。……うん、そうだね。どんな場所でも取りこぼされる人はいるんだ。……私はメタファリカという場所を神聖視しすぎてたかもね。過度な神聖視も危険だってことを忘れてたよ。……ありがとね、アイラちゃん」
「い、いえ……」
過度な神聖視も危険、とは一体どういうことだろうか、とアイラは疑問に思ったがよく分からなかった。……まあそれも無理はないかもしれない。アイラにはまさに過度な神聖視をしている人がいるから、渦中にいるからこそ気付けなかったのだろう。
「っと。変な空気にしちゃってゴメンね。次はソル・クラスタの人についてかな?って言ってもメタ・ファルスにいた頃も今も故郷を失って混乱の中必死に生きている人たちとの接点だから、メタ・ファルスみたいな成り立ちとか逸話を知ってるわけじゃないんだけど……。個人的な印象としては勤勉な人が多いという印象だね」
恐らくソル・クラスタの人たちは故郷を失ったことにより今は文化の継承どころではないのかもしれない。あと少し時間が経って事態が落ち着けばメタ・ファルスのラプランカ伝承のような昔話を聞けるようになるのだろうか、とアイラは思った。
「あとソル・クラスタと言えばレーヴァテイルだけで統治されていたクラスタニアがあった場所だし、第三世代も含めてレーヴァテイルの立場は強いのかと思ってたけど、第三世代の立場はそんなに高くなかったみたいなんだよね。これはクラスタニアに所属していたβ純血種の友達に聞いたことなんだ」
「それは意外ですわ。わたくしはクラスタニアの存在からてっきり第三世代の人たちにも暮らしやすい場所だったのかと思っていました」
ここ数年でようやくソル・シエール以外の地域の情報が入るようになってきたと言っても、まだまだ知らないことがある。
けれど一番知らないことは。
「では最後に。一度ソル・シエールの外に出たらリーシャさんから見たソル・シエール人の気質はどう見えますか?」
「のんびり、かなあ?他の塔と比べて食料や住む環境に関して比較的なんとかなってたみたいだし、そういうのが影響してるのかな?なんかこう、『まあ何とかなるでしょ』みたいな感じがあるというか……」
「ああ、のんびりというのは何だか分かる気がしますわね……」
アイラはトライボックスでのゼロとヤグシャとの様々なやりとりを思い出す。確かに二人と話していると、「あら?私ってひょっとしてのんびりしてる性格だったのかしら?」と思うことがしばしばあったのだ。
……まあそれが個人の性格の問題なのか地域柄の問題なのかは定かではなかったが、一度外の世界へ出た人から見てものんびりとした地域柄の性格だったようだ。
「アハハ!アイラちゃんは特におっとりしてるもんねえ」
……いや、やはり個人の性格であるところが大きいようだ。
「う、うう……。の、のんびりはともかくですね、『まあ何とかなるでしょ』というのはどうしてそう思われたのでしょうか?」
リーシャは頬をポリポリと掻きながら「ん〜〜〜」としばらく逡巡した後、
「アイラちゃんはソル・シエールの歴史について詳しいんだっけか。じゃあ第二紀にソル・シエールの人が何をしでかしたのかは知ってるよね?」
「ええ、それはまあ……」
「あれってさ、新しい技術のデメリットを考えないで突き進めていった結果だと私は思うわけだよ。『何か不具合が起きてもなんとかなるだろう』ってさ、後になって何が起こるか深く考えずに前へ前へと豊かになるために物事を進めちゃうような気がしてね」
その言葉を聞いてアイラは苦虫を噛み潰したような顔をする。命の試練で使われていた技術を見て『手段が多いことに越したことはない』と言ったことに対してヤグシャが怒りを見せた時のことを思い出したからだ。
『新しい技術を、力を使う時には後に何をもたらすか考える必要がある』という考えをアイラは一応は持っていたものの、結局その考えは実のところ深く考えていない、そう、ハリボテのようなものだったとあの時痛感したのだ。
「おっ、その表情を見るとアイラちゃんも身に覚えがあるのかな?ってまあ私も科学者やってるから人のことは言えないんだけどさ。
で、だ。ソル・シエールの人のその気質は何も技術に限ったことではないと思っててね。……昔のメタ・ファルスでのやらかしが向こうには残っている」
「と、言いますと?」
「ネオ・エレミア戦争。第二紀の頃にメタ・ファルスに移り住んだシエール人がメタ・ファルスを制圧し、そこに元々住んでいた人を奴隷として扱った、ソル・シエールの人たちが知らないもう一つの過去の罪だよ」
アイラはヒュッと息を呑み、動揺のあまりに水の入ったグラスを倒してしまった。
「わーーー!大変大変!!」と慌てておしぼりで溢れた水を拭くリーシャの声と姿が、どこか遠くに感じられた。