元お嬢様と過去の苦悩 - 1/3

ある日の昼下がり、日差しの柔からかな天気。空港都市ネモのある広場、そこに置かれているベンチ。
アイラはそこに座り、行き交う人々を観察しながらあることを考えていた。

——愛とは何か、と

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時は少し遡る。
居酒屋でリーシャの話を一通り聞いた数日後、ソル・シエールの歴史を——正確には第一紀周りの歴史を詳しく調べるために——調べようとプラティナへと渡るために、アイラは空港都市ネモを訪れていた。
一刻も早くプラティナに渡りたいと慌てるあまりに急いで空港に駆け込んだものの、タイミングが悪かったのか少し前にプラティナ行きの船が出たばかりで、次の船が出るまで数時間
かかるという。
このやる気の空振りはどうしたらいいものか……、とアイラはガックリと肩を落としたものの、落ち込むのも僅かな時間で、
「そうですわ!せっかくだからネモの観光でもしましょう!」
とさっさと思考をポジティブに切り替えて空港を出た。
家を飛び出したのが半年前。それから数ヶ月はネモに滞在していたものの、あの時は生計を立てるのに必死で周りを見る余裕がなかった。もちろん観光どころではない。
というわけで早速周りを見渡してみると「おいアイツ……」「<陶器割のアイラ>……。戻ってきていたのか……」という声と視線を感じた、が。
「まあ、これは……。いわゆる有名税というものかしら?」
とアイラは街の人から噂されていることをポジティブに、それはもうポジティブに解釈して華麗にスルーすることに決めた。もしもこの様子をヤグシャが見ていたら「アイラはしたたかに生きている」ポイントを更に加算してくれたことだろう。

街の様子の把握と人間観察をするにはまず人の集まっている所に行かなくては、とまずアイラはこの街の大きな広場に行ってみることにした。
アイラの訪れた広場は大変賑わっており、友人、恋人、家族連れ……とたくさんの人々が思い思いに過ごしていた。それだけではない。屋台を出して客引きをしている人、ジャグリングなどのパフォーマンスをしている人、楽器を奏でながら歌っている人もいた。
(私が数ヶ月過ごしていた街にはこんなにも色々な人がいましたのね……)
ああ、私は本当に周りのことが見えていなかったのだ、ということを痛感しながらアイラはゆったりと広場の中に分け入っていく。恐らくこの半生でこんなにも心が凪いでいたことがないと思いながら。
気がつくと楽器を奏でながら歌っている男性——吟遊詩人だろうか、それとも月奏だろうか——の演奏に惹かれて集まってきていた人々の後方に立っていた。バイナリ野でヤグシャと交わした歌に関する話のことを思い出したこともあったかもしれない。
(今は投げられるおひねりもあることですし、ここは是非聴いていかなくては!)
ヤグシャは『別にただで聞いても悪くはないと思うけどね』と言ってはいたものの、やはりあらゆる技術には敬意を表さなくては。それが自分が身につけていない技術なら尚更、というのがアイラの考えだ。
(うふふ……。懐が暖かいというのはいいものですわねえ……。一度行き倒れてからは尚更お金のありがたみを感じますわ!)
などと思いながら上機嫌に歌を聴く。そして数曲聴いてからあることに気付く。
(あら……?何だか恋愛に関する歌が多いような気がしますわね。この方は恋愛の歌が好きなのかしら?……あ、そういえば)
ふと先日の就職祝いでリーシャが言っていたことを思い出す。
『あ、あのね!あともう一つソル・シエールの人の特徴があった!!愛を重んじている!!』
アイラがグラスを倒した後、慌ててリーシャがそう言っていた。暗い話題を聞かせてショックを与えてしまったことへのお詫びかそれとも励ましだったのかは分からないが、いずれにせよこれも重要な情報だ。
(ふーむ。つまり恋愛の歌が多いのも地域の特色が出ている可能性が高い、と。他に歌を披露している人を探して歌の内容でも聞き比べてみようかしら?)
とひとまず前にいる人混みを掻き分けて、歌っている男性の前に置かれているバケツにおひねりを投げ込み、その場から立ち去る。そして辺りをキョロキョロと見渡し、今度は歌っている女性の元に行き、歌を聴いてみる。
(あら、これは冒険譚……。ですけれど最後は愛が勝つ!となりますのね。……ふむふむ次の歌は……歌姫と男性の守護者の話、ってこれはシュレリア様とタスティエーラ様の話では?タスティエーラ様が男の人になっていますわ!?しかも恋愛的な意味で結ばれてますわ!?ホルスの翼だとこのように伝わってますのね。……いえプラティナでもちゃんとは伝わってないのですけれど……)
と、内心でとても驚きながらおひねりを投げ、他に歌っている人の元へ。
(あら、これは言うなれば親愛の情かしら?ふむ、確かにこれも愛ですわね。……あ、次の歌も親愛、ですわね)
とまた数曲聴いて、
(ふう……。こんなに長い時間歌を聴いたのは初めてですわね、恐らく。せっかくですし聴いた歌の内容を忘れないうちにメモを取りたいですわね)
と空いてるベンチに座って手帳を取り出した。
(ええと、まず初めに聴いたのが要約すると『恋人が愛おしすぎて辛い』という歌。それから『恋人と死別した際の悲しみと、死別して尚残る恋人への愛情』を歌い上げる歌。それから……)
と一通りメモをして、作業が終わったところでふう、と一息ついたところで手帳を閉じる。そして、
(『愛』と書きすぎて『愛』の定義がゲシュタルト崩壊してしまいましたわ。はて、愛とはなんでしたっけ?)
と冒頭の記述の通りの心境に至ったわけである。